一年目のありがとう

アオ

サクさんとリアルに対面して丸一年が経ちます。

まさに一年前の今日、顔を合わせました。

そこから引っ越しするまでの3ヶ月間とんでもなく頻繁に会っていて、週7で会っていた時もありました。

お互い自営業で時間に融通がきいたため、その頃まずは会う事を優先させていました。

年末年始に過去のLINEテキストを読み返しましたが、対面する前のLINEのやり取りで、ほとんどの事に気づいていたことが分かりました。

会う頻度が増えるたび、感じていたことが確信に変わりました。

サクさんとのセックスは今まで自分が思っていたものとはまるで違いました。

回数を重ねるたびにお互いがより大切になって愛おしくなってかけがえがなくなって、安心して、心地よくて、生きていることが嬉しくなっていったのです。

私は異性に対してかなりの警戒心があった事に気づきました。
おそらく子どもの頃、父が母に暴力を振るっていた事から男性に対して恐怖心を抱くようになったんだと思います。

サクさんにも自分の体を任せることがなかなか出来ませんでした。

それがきっと、セックスで絶頂できない理由のひとつだったのかもしれません。

サクさんと離れて、夫とせざるを得なくなって。

気づいてしまったのです。
夫のやり方は、自分を満足させるためのセックスだと。
自分が慰安婦になったような気がして、とても惨めに感じました。
私は性処理の道具として利用されている。

それから出来なくなってしまいました。
体と心の抵抗感・拒絶感がすごいのです。
体が強張って吐き気がしてしまう。

夫にそんな意識はないのだろうとは思います。
頭では分かります。
だけどそう感じてしまったら、もうダメ。
自分を粗末に扱っている気がして、苦しくなってしまうのです。

サクさんはサクさんでセックスに対する概念が変わりました。

彼はセックスを探求する専門ブログを書いていたりもしますが、女性経験がとんでもなく豊富で「セックスと愛は別物。セックスに愛を持ち込むから話がこじれる」という考え方の持ち主でした。

ブログの趣旨も主に女性を満足させるテクニックを指南するものでした。
それが。

セックスは愛を表現するもの、純粋なもの、尊いもの……そんなふうに解釈が変わっていったのです。

世間一般のセックスに対するイメージは、いやらしい、やましい、いけないもの、背徳的…そんな「悪い」ものだと感じますし、そう教えられてきました。

だけど、そんなはずある訳ないじゃないですか。
だってセックスから神聖な命が誕生するんだから。

セックスを否定してしまったら命を否定することになってしまう。

そんなのが正しいわけ、ないじゃない。

セックスは相手を愛おしく思う気持ちを表現するもの。
同時に自分を大切にする行為。
慈しみ合うものだと思います。

サクさんと出会わなかったら私はそれに気づく事はなかったでしょう。

出会って1年目、改めて感謝の気持ちをここに記します。

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