ピザと涙

サク

ある日のワーク(イメージ瞑想)を行ったあとに、2人して幸せにむせび泣いていた。

いつもワークは2人で同時に行っている。
少しでも繋がりが強くなるようにということと、何か奇跡的なことが起こるかもしれないという期待があるからだ。

この日、ワークの前にアオの夕飯の話になり、
「今、ピザ作ってるよ」とLINEで送られてきた。

普段からワーク後半に2人で何かをしているイメージを決めてから行っていた。
ピザの話の流れから、2人でワイン飲みながらピザに具をのせてるイメージしようと決めて始めていた。

ワークを始めて最初のころは、途中で眠ったり集中が切れたりもしていたが、段々慣れてきたのか、2人共通のイメージが段々鮮明になってきていた。

ピザに具をのせるなんて、ありきたりの風景なのかもしれないが、離れ離れの僕たちにとっては、この何氣ない時間が憧れであり夢の時間でもある。

ワークが終わってアオからLINEが来た。
「幸せ過ぎて泣けた」と。
それを見て僕も目頭が熱くなった。
いくつかの言葉を交わしたら、僕も涙が溢れ出ていた。

泣いてしまうのはこの日だけではなく結構あることだ。
通過してしまうような日常だけど、この日はふと考えた。

僕はいつからこんなに泣くようになったのか?

昔は人前で泣かなかった。
人前で感情をあらわにするのを恐れていた。
全ての人にある一定の距離を置いて、心の抑揚を抑え込んで生きていた。

以前ここに書いたけれど、僕は20歳のころフラれて終わった恋愛をずっと引きずっていた。
純朴な僕は、その時の彼女を本当に愛していた。
しかしそれが叶わなくなった絶望感を埋めるために、いつしか「心から」という氣持を怖くて持てずにいたのだ。

アオとの出会いでこの心の壁に氣が付いた。

アオと僕は魂の双子かもしれないし、違うかもしれない。結論は分からないけど、もしそうなら、ここで心を開くことを躊躇したら後悔しそうだと思ったからだ。

昔の恋愛の傷に気付いてから、それにまつわる様々な心のブロックを一つ一つ丁寧に見つめなおした。もう見つめつくしたのか、最近は思い出すことも減っていた。

やっと浄化されたのかも知れない。

以前より感情がストレートに現れるようになったように思う。泣かなかった僕が、今では直ぐ泣いてしまう。
悲しい涙ではなく、嬉しいことや幸せなことに涙してしまう。無意識に涙が溢れてくるのだ。

スピリチュアル界隈では、無意識の話をよくみかける。
引き寄せにせよ、不思議体験にせよ、無意識や潜在意識は確実に影響している。
そこから考えると、無意識に流す涙は、僕の無意識領域や潜在意識の書き換えが行われた記しなのかもしれない。

無意識や潜在意識の書き換えは、本人には自覚がないと思う。これは意外と見落とされている。氣付かないうちに自分は変わっているものだ。

幸せにむせび泣きながら、ふと僕自身の変化に氣づいた瞬間だった。

タイトルとURLをコピーしました