サクの嫉妬概念

サク

嫉妬の話が多いけど、せっかくなのでもう少し深掘りしたい。

先の投稿でアオが暴露したように、僕は嫉妬しない。しなくなった。
どうして嫉妬しなくなったのかを色々思い出してみた。

嫉妬には2種類、恋愛系と優劣系があると思う。
先に嫉妬しなくなったのは恋愛系。

この恋愛系の嫉妬には必ずセックスが絡んでいる。
僕はセックスの捉え方が世間一般とは違う。
セックスに罪の意識はない。
健康や精神衛生面から考えるとむしろ積極的にした方が良いと考えている。

またセックスと恋愛の捉え方も一般とは違う。
愛情とセックスに親密な関連はあるが、関連を強くし過ぎると不幸になるとさえ思う。関連性を強くすればするほど、セックスの機会は奪われていき、セックスに対する幸せが享受されにくくなるからだ。

都合の良い解釈だと思われがちだけど、間違ってるのは世間一般的な性の捉え方だと断言する。

そしてここからはドン引き覚悟で書くが、
僕は僕よりセックスが上手い人を知らない。
知らないというより、世間一般の性知識はほとんど間違っていると思っているから、比較の次元が違うというか自分と周りを比べる意味がないと思っている。

どんな性概念を持っているかを話し始めるとここでは収まらないので、興味のある人は別ブログのリンクを文末に載せるので、そこで確認して欲しい。

話を恋愛系の嫉妬に戻す。

僕の中では恋愛とセックスが切り離されていて「浮気」という概念が存在しないので嫉妬する必要がない。
健康に良いからセックスはしたほうが相手のためだし、その対象が自分でなくても構わないと思っている。

セックスで自分と他の男性とを比べられても、それに耐えうる自信があるので嫉妬しない。

こんなバランスのメンタリティを以前から持っているので、僕は恋愛系の嫉妬をほとんど感じた記憶がない。

もう片方の優劣系の嫉妬は、つい最近まで持っていた。
スピリチュアルを学ぶ中で「男らしさ」の手放しに取り掛かっているのだが、その中に勝ち負けへのこだわりがあった。
それを手放せた事で同時に劣等感も姿を消してしまったような気がする。

以前の僕は劣等感に苦しんでいた。
だけどワンネスの概念を知り、全てはひとつで繋がっているのなら比べる事なんて無意味だと解釈してから、なんだか勝ち負けがどうでもよくなった。

気付けば劣等感に悩む事がなくなり優劣系の嫉妬も感じないようになっていた。ワンネス様様である。

嫉妬にはエゴも根深く絡んでいると思う。
エゴは無意識や集合意識にも影響していると思う。

まだ僕にも手放さなきゃいけないエゴがたくさん残っているので、嫉妬はしなくなっても別のネガティヴな形で現れる事はいくらでもあると思う。

修行みたいになると辛くなるから、楽しみながら気付いて手放していこうと思う。

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