「居場所がない」
ついこんなツイートをした。
早速アオからメッセージが来る
自分はイジけたのだ。
理由は二つあった。
ひとつめはアオを怒らせたこと。
自分の文章表現がうまくなかったようだ。
アオの修正がいつもより雑に感じられもして、すっかり機嫌を損ねたと思い込んだ。
ふたつめは家に居場所がないと感じたこと。
アオと気まずくなって自宅に帰ると、自分の椅子に子供の物が積み上がり座れない。
イラっとした。
自分の家だけど、本当に気を許す場所はない。
普段子煩悩な父親を演じているので、こういう時にその反動が来るのだ。
そんなに出来た人間でもない癖に、いい父親面する自分が嫌になった。
アオも怒らせてしまったし、どこにも居場所がないと追い詰められツイートした。
実に愚痴っぽくてかっこ悪い。
アオはツイート後、しっかりフォローしてくれた。
とはいえすぐに気分が変わらない。
考えても仕方ないから、さっさと寝た。
寝たことで少し気分は持ち直した。
疲れもあったんだな~と感じつつ、昨日の出来事を振り返った。
そもそもの原因は自分の文章力の無さ。
スキルが無いのに、アオが喜ぶような文章を書こうと頑張ってた。
しかし、どうあがいてもアオには勝てない。
それほど差がある。
スピリチュアル的にも得意や不得意にこだわるのではなく、活かす方に考えた方が良いという都合の良い解釈を採用させて頂き、どっぷり頼ることに決めた。
アオに甘えさせてもらう事にした。
居場所問題は子供を叱っても仕方ない。
父親を敬えと子供に期待してどうする?
結局は自分が子供なだけなのだ。
アオの期待に応えたいとか、子供にいい父親づらするとか、なんで自分はこうも恰好ばかりつけてしまうのだろう?
そもそも出来のいい人間じゃないし、出来なくても別にいい話なのに。
勝手に「いい人」であろうとするバイアスが働く。
スピリチュアルを学び、余計なこだわりは要らないと理解したはずなのに、気付くと同じ過ちを繰り返している。
。。。なんて考えてると、またまたネガティブに陥ってしまう。
いい人であろうとか、いい父親であろうとか、そういう余計なカッコつけはいい加減手放したい。
まだまだ修業が足りない自分を痛感した出来事だった。